歌が暮らしを支えていた頃
~感情を歌う前に、人が歌っていたもの~
泣きやまない子を抱いて、歌ったことがあるでしょうか。あやしても、揺すってもだめで、けれど歌いはじめると、なぜか静かになる。あれは慰めているというより、何かが届いているように見えます。
ある歌がテレビで流れると、日本中の赤ちゃんが泣きやむ。そんなことが話題になったこともありました。理由は、いまもはっきりとは分かっていません。
歌はおもに気持ちを表すもの。私たちはそう思っています。楽しいから歌う、悲しいから歌う。けれど、そうではなかった時代のほうが、人の歴史ではずっと長いのかもしれません。
西アフリカのグリオと呼ばれる語り部たちは、王家の系譜や土地の来歴を、何百年ものあいだ歌で記憶し、伝えてきました。文字ではなく、歌が公文書だったのです。スコットランドやアイルランドの島々には、織り上げた布を叩いて縮ませる作業のあいだに歌う歌がありました。あの歌の拍は、そのまま作業の速度です。歌がなければ、手が揃いません。
日本にも、田植歌があります。
何十人もが横一列に並んで苗を植えるとき、一人が速すぎても遅すぎても列が乱れます。そこで声を出す役の人がいて、その声に応えて全員が返す。掛け合いの形になっているものが多いのは、返ってくる声で、それぞれが自分の位置を確かめられるからだと言われます。歌が、目に見えない定規となっているのです。
歌詞には、その土地のことが入っています。山の名前、川の名前、田の神様のこと、去年の実り。植えながら、その土地の記憶を唱えていたことになります。広島の北のあたりに残る花田植では、飾り立てた牛が代掻きをし、太鼓と笛が入り、早乙女が並んで歌いながら植えます。いまは芸能として保存されていますが、もとは作業そのものでした。
ポリネシアの航海術では、星の並びと島の位置を歌にして覚えていました。歌が、そのまま海図だったわけです。産室で歌われる歌を持つ文化も各地にあります。そして子守唄は、いまも世界中の家で歌い継がれています。
こうして並べてみると、歌は気持ちを表すものである以前に、覚えておくための器であり、手を揃えるための道具であり、何かを届けるための手段でした。歌に何かが乗って動く。その感覚のほうが、人にとってはむしろ当たり前だったのかもしれません。
アマゾンの森にも、そうした歌があります。植物から受け取った歌で、歌うことがそのまま治療になるのだといわれています。
世界最大の薬草庫
~森から持ち帰られたもの~
アマゾンは、地球上でもっとも多くの植物が集まっている場所です。流域面積はおよそ700万平方キロメートル。樹木だけで一万数千種が確認されており、草本や着生植物まで含めれば、その数はいまも正確には把握されていません。一本の木の上だけで、数百種もの昆虫が見つかることもあるといいます。
この森は、近代の医療を何度も書き換えてきました。もっとも有名なのがキナの樹皮でしょう。アンデス東麓に自生するこの木の皮から、マラリアの特効薬となるキニーネが得られます。十七世紀にヨーロッパへもたらされ、その後の熱帯地域の歴史そのものを変えました。
矢毒として使われていたクラーレは、筋弛緩剤として近代外科の全身麻酔を可能にしました。吐根(イペカク)は催吐薬として長く薬局方に載り続けました。ゴムの木がもたらした富と、その裏で起きた過酷な収奪の歴史も、この森の話です。
つまりヨーロッパにとって、アマゾンは長いあいだ「素材の供給源」でした。有用な成分を含む植物を探し、持ち帰り、分離し、製剤にする。その方法は確かに強力で、数えきれない命を救ってきました。私自身、その系譜の上で植物を学んできました。
けれど同じ森に、まったく違う関わり方をしてきた人々がいます。
森に住む人々の医療
~ベヘタリスモという伝統~
アマゾン流域には、いまも四百前後の先住民族が暮らしているとされます。言語も、暮らし方も、植物の使い方もそれぞれ異なります。ひとくちに「アマゾンの伝統医療」と言えるような単一の体系があるわけではありません。
そこへ、十六世紀以降の植民地化が重なりました。伝道所が置かれ、疫病が流入し、ゴム・ブームの時代には多くの共同体が強制的に移動させられました。先住民の知識と、スペイン語圏のカトリック文化、そしてアフリカ系や移民の民間療法が、川沿いの町で混ざり合っていきます。
その混成のなかから生まれたのが、ベヘタリスモ(vegetalismo)と呼ばれる伝統医療です。直訳すれば「植物主義」。担い手はベヘタリスタ(vegetalista)と呼ばれ、医師でもなく聖職者でもない、植物と人のあいだに立つ存在とされます。
ベヘタリスモの名を外の世界に知らせたのは、アヤワスカという飲み物でした。ただ、それはこの体系のごく一部にすぎません。ベヘタリスタが生涯をかけて向き合うのは、もっと素朴な、名前も知られていない植物たちです。そして彼らが学び、受け取り、実際の治療で使うものは——歌なのです。
川のほとりのシピボ ― 植物には「母」がいる
~森を見る、まったく別のまなざし~
ペルー東部、アンデスを下った先をウカヤリ川が流れています。アマゾン本流の源のひとつにあたる、大きな川です。その両岸に、シピボ=コニボと呼ばれる人々が暮らしてきました。高床の家、川と森を行き来する暮らし、そして精緻な文様で覆われた織物と陶器。
この人々の世界観の中心に、madre(マドレ/母)という考え方があります。すべての植物には母がいる、というものです。目に見える葉や樹皮は、その植物のほんの一部にすぎず、本体はその「母」のほうにあるのだといわれています。だから力のある植物は、プランタ・マドレ(planta madre/母なる植物)とも呼ばれます。
そう考えるだけで、森の見え方がまったく変わります。
植物に母がいるのなら、勝手に採ってきて煮出すわけにはいきません。挨拶が要り、許しが要り、場合によっては何かを差し出す必要もあります。植物は使うものではなく、交渉し、関係を結ぶ相手なのです。
私たちは植物を、成分の集合として見ることに慣れています。この葉には何%の何が含まれていて、どういう作用がある。その見方は正確で、再現性があり、人に教えることができます。けれどシピボの人々にとって、植物とはまず「向こう側に誰かがいる」存在なのです。
そして、その母が人に何かを渡すとき、それは歌だといわれています。
歌で治療するということ
~イカロと、目に見える歌~
植物から受け取る歌を、イカロ(icaro)と呼びます。スペイン語圏で広まった呼び方で、シピボの言葉では rao bewa(ラオ・ベワ)といいます。rao は薬、bewa は歌。薬の歌、ということになります。
治療にあたる人は、オナヤ(Onanya)と呼ばれます。「知っている人」ほどの意味です。オナヤは薬を処方するかわりに、あるいは処方とともに、歌を歌います。その植物のイカロを歌えば、その植物が働くとされます。植物が持っていた力が、旋律として人に送られていることになります。歌が、その力の器になっている、と言ってもいいかもしれません。
興味深いのは、イカロが作曲されるものではないことです。夢のなかで、その植物から直接送られてくるのだといいます。ディエタの最中に受け取ることもあれば、師から受け継ぐ歌もあります。いずれにせよ、同じ植物でも歌う人によって歌は違います。関係の数だけ、歌があることになります。
歌詞には、その植物の名前や、川、鳥、木の名が織り込まれることが多いといいます。旋律は反復的で、口笛や、口を閉じたままの唸りに近い発声が混ざります。夜、灯りを落とした場所で、低い声で長く歌われます。歌いながら、タバコの煙を身体に吹きかけることもあります。手当てのように、届けたい場所へ植物の力を送っていくのだそうです。
そしてもうひとつ、シピボの人々には、この歌が目に見えています。
ケネ(kené)と呼ばれる文様です。布に刺繍され、陶器に描かれ、かつては顔にも描かれた、迷路のような幾何学模様。オナヤは歌うとき、患者の身体のまわりにこの模様が見えているのだと語ります。
そして、その模様が乱れているところを、歌で整えていく。病とは模様の歪みであり、治療とはそれを歌で編み直すことなのだ、と説明されます。歌と模様がどこまで対応しているのかについては、研究者のあいだでも見方が分かれているようです。
ですから、布に写し取られた文様は、装飾ではありません。織り手が文様を入れていくとき、その人は同時に歌を書いていることになります。私たちが美しいと感じて眺めている布は、読めない楽譜なのかもしれません。
サロンでフラワーエッセンスを選んでいただくとき、花のカードを見ただけで、直感で選ばれる方がいらっしゃいます。「この花が好き、気になる。」と。あとから調べると今の状態にぴったりなものを選ばれていたりします。
私はそれを、言葉になる前の、なにかアンテナが働いてるのだなと、感じています。シピボの人々が歌として受け取るものと、同じだとは言わないけれど、人はまだ解明されていない、直感としか言い表せられない回路がきっとあるのでしょう。
歌を受け取るまで ― ディエタ
~削ぎ落として、余白をつくる~
では、その歌はどうやって受け取るのでしょうか。ディエタ(dieta)と呼ばれる、修行の時間があります。
まず、一種類の植物を選びます。プランタ・マエストラ(planta maestra/教師植物)と呼ばれる植物です。その煎じ液や樹皮の浸出液を摂りながら、数週間から数か月、森の中の小屋にひとりで籠もります。
暮らしはごく単純です。川で水を汲み、火を熾し、決められたものだけを食べます。バナナ、キャッサバ、少しの川魚。そして、いくつかの禁忌を守ります。塩、砂糖、油、香辛料といった強い味を断つ。豚肉を避ける。性的接触を絶つ。他人との接触も最小限にします。
なぜ、そこまで削ぎ落とすのでしょうか。伝統的な説明は明快です。身体が空っぽで無味な状態でなければ、植物の側が入ってくる余地がないから。強い味や刺激があると、植物の声がかき消されてしまうのだといいます。だから食も人も減らして、その植物ひとつだけと向き合います。
禁欲的に聞こえますが、目的は苦行そのものではなく、余白をつくることにあるようです。何かを受け取るために、いったん場所を空けておく。香りを聞くときに、私たちが一度そっと息を吐くのと、どこか似ています。
そうして過ごすうちに、夢が来ます。植物が人の姿で現れることもあれば、声だけのこともあります。そこで歌が渡されます。歌を受け取ることが、その植物と関係を結んだ証になるのです。
ディエタが明ける日には、儀礼があります。長く断ってきた塩を、ひと口だけ口にします。それが修行の終わりの合図です。味が戻ってくる瞬間を、多くの人が忘れられないものとして語ります。
修行が終わったことを示すのは、歌が来たかどうか、それだけです。これ以上に確かなものは、彼らにとってないのでしょう。
教師と呼ばれる植物たち
~最上位の教師は、タバコでした~
では、人は何に師事するのでしょうか。代表的な教師植物を挙げてみます。
- アヤワマ(ayahuma)
- 大きな果実をつける高木。恐れを扱う植物とされ、教師植物のなかでも古参にあたる存在です。
- ボブィンサナ(bobinsana)
- 川辺に生える低木。細い糸のような繊細な花を咲かせ、心を開くこと、共感に関わるとされます。
- チュチュワシ(chuchuhuasi)
- 樹皮を用いる高木。「震えを断つもの」を意味する名を持ち、身体を支える力の植物とされます。
- チリック・サナンゴ(chiric sanango)
- 摂ると強い寒気を伴うことで知られ、冷えや停滞に関わるとされる植物です。
- タバコ/マピチョ(mapacho)
- 儀礼に用いられる濃い在来種の葉。最上位の教師植物とされ、多くの治療者が最初に、そして生涯を通じて関わり続ける相手です。
薬草を学んできた方なら、いくつか気づかれることがあると思います。まず、日本の薬草事典に載っているものが一つもありません。次に、薬効の説明に成分名がまったく出てきません。恐れを扱う、心を開く、震えを断つ。私たちが習ってきた語彙とは、まるで別の言葉で語られています。
そして何より、最上位に置かれているのがタバコだということです。
ハーブの世界で、タバコはあまり良い席を与えられていません。嗜好品であり、しばしば戒めの対象です。けれどアマゾンでは、これが最高位の教師とされます。マピチョと呼ばれる在来種の葉は、私たちの知る紙巻とは別物で、儀礼の場で焚かれ、吹きかけられ、煎じられます。治療者が生涯かけて関わり続ける相手であり、他の植物との仲立ちをする役目も担うとされます。
薬理の目で見るかぎり、そこに強い作用は見当たりません。苦味が強い、吐き気を伴う、身体が冷える。その程度です。それでも「教師」とされます。
つまり、成分が何かをするから教師なのではないのですね。関係を結ぶ相手として、教師なのです。
ここで、最初の話に戻ります。同じアマゾンの森から、ヨーロッパはキナ皮を持ち帰り、成分を分離してキニーネを得ました。同じ森で、シピボの人々は植物に弟子入りし、歌を受け取ってきました。片方は成分を取り出し、もう片方は師と仰いできました。同じ森を前にして、これほど違う関わり方があるのです。
フィトセラピーは、植物から有効成分を得ます。フラワーエッセンスは、植物の波動を写し取ります。方法論はまったく違いますが、どちらも動いているのは人のほうです。人が採り、人が取り出し、人が写す。植物は、そこに在ります。
ディエタでは、働きかけるのは植物の方です。植物が現れ、植物が歌を渡します。人がすることは、待てる状態になることだけです。籠もり、味を断ち、余白をつくって、来るのを待つ。あれほど厳しい禁忌が、獲得のためではなく、待つための準備だというのは、考えてみると不思議なことです。
もうひとつ、決定的な違いがあります。ディエタは一種類ずつしかできません。同時に二つの植物とは組めません。順番に、時間をかけて関係を結んでいくしかないのです。私たちの仕事はある面でブレンドの技術ですが、この世界には、その発想そのものがありません。三人と同時に親しくすることはできても、三人に同時に師事することはできません。そういうことなのだろうと思います。
歌がなぜ効くのでしょうか。振動として身体に届くからだと言うこともできますし、そこに込められた思いが働くのだと言うこともできます。どちらの説明も可能で、どちらも十分ではありません。ただ確かなのは、歌が働く世界を生きる人々が、この地上にたくさんいるということでしょう。
サロンの庭には、二十年を超えるつる薔薇があります。ほかに植えているクロモジやダマスクローズ、様々なハーブのように蒸留するものではないですが、季節になると華やかに咲きこぼれる姿を見るのが楽しみです。
能登の地震に遭う前の年、庭の多くのバラやオリーブの木が枯れるという現象がありました。あの時にさえ枯れずに持ちこたえてくれたバラたち。今年は花が小さいなとか、咲き始めが早いなとか、アロマの勉強では学べないことを、その生育の過程で教えてもらっています。
この時間の流れだけは、すこしだけディエタと似ているのかもしれないな。と思ったりします。歌は、まだ聞こえてこないですが。
(Author: Etsuko Fukunaga, Founder of Salon de Alpha)
参考文献:Luis Eduardo Luna『Vegetalismo: Shamanism among the Mestizo Population of the Peruvian Amazon』/Stephan V. Beyer『Singing to the Plants: A Guide to Mestizo Shamanism in the Upper Amazon』