序章|まどろみのなかの共鳴
夢のなかで、ひとつの花が私を見つめていた。その花には、香りも名前もなかったけれど、なぜか"懐かしい響き"があった。私はその花に手を伸ばそうとしても触れることは叶わず、ただその静かな振動の中で見つめ合っていた。
目覚めた朝、ふとした直感で手に取ったフラワーエッセンス。そのラベルに書かれた名前は──夢に咲いていた花のそれと同じでした。それを見た瞬間、私は知りました。あの夢は、まだ訪れていない未来から届いたささやきだったのだと。
花はきっと、その未来の振動を"今ここ"に運ぶための、小さな媒介だったのでしょう。
第1章|フィールドで起きていたこと──見えない共鳴のしくみ
私たちは普段、「選ぶ」という行為を意識的に行っていると思っていますが、本当にそうでしょうか。なぜ、無数にあるエッセンスの中から、その一本を選ぶのか──。
近年の心理学や認知科学では、私たちの選択や判断の多くが、無意識の影響を受けていることがわかってきています。意識では説明できない"なんとなく惹かれる""理由はわからないけれど選んでしまう"といった感覚も、背後には深層の情報処理が存在していると考えられています。
バッチフラワーレメディにおいて、「夢見がちで、今ここに意識を向けにくい状態」に対応するとされるのがクレマチス(Clematis)です。逆に言えば、夢と現実のあいだを行き来する感受性そのものが、エッセンスの世界では大切な手がかりとして捉えられています。
その背景には、"情報が振動する場(フィールド)"とも呼べるような、目に見えない領域の働きがあるのではないか──私はそう感じています。そこでは時間も距離も直線的ではなく、まだ起きていない未来の気配さえ、静かに揺れていることがあります。
私がその花を選んだのではなく、すでに"わたしという存在の内なる布"に、その花の周波数が響いていた。ただ、それに触れた瞬間が"選んだ"というかたちをとって現れただけ。そんなふうに思えるのです。
このようなつながりは、個人の意識よりも深い「潜在意識の領域」で起きているのかもしれません。あるいはもっと深いところで──まだ意識が生まれる前の、静かに響き合う場所で交わされていた約束だったのかもしれません。
夢のなかで花に出会い、現実で再びその名に触れたとき。それは、単なる偶然ではなく、"非物質の次元"で始まっていた対話が、ようやく顕在化した瞬間だったように思えるのです。
第2章|夢という入口──象徴と無意識のフィールド
夢は、夜の闇のなかでそっと開く扉。そこでは時間がほどけ、名前を失った記憶たちが、ふたたび姿を変えて現れます。私たちの意識が眠っているあいだ、魂は、より深い"情報の海"を旅しているのかもしれません。
私があの花と出会ったのは、まさにその"海"の中──言葉になる前の、やわらかな領域でした。
心理学者ユングは、無意識を「個人の深層」だけでなく、人類共通の象徴的な層を持つ領域と捉えました[2]。そこでは、夢に現れる動物や風景、花や色──すべてが"元型(アーキタイプ)"という、人類が普遍的に共有する象徴的なイメージとしての意味をもっています。
夢に花が出てくるとき、それは単なる植物ではなく、魂が必要としている"共鳴"の記号なのです。私たちは目覚めたあとも、その象徴を覚えているとは限りません。けれど、無意識は記憶しています。そして必要なとき、それを"選択"というかたちで呼び戻します。
夢の中で出会った花が、現実のエッセンスとして私の手元に現れたとき──その出来事は、「偶然」ではなく、ユングが"シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)"と呼んだ現象に近い感覚がありました[3]。
夢、感情、香り、直感。それらはすべて、同じ深層に触れている感覚の異なる側面。つまり、夢と現実は別々の世界ではなく、潜在意識というひとつの布の上に、異なる模様として織られているのです。
花のエッセンスは、単に「心を整えるもの」ではありません。それは、魂が知っているはずの"未来の響き"を、今という瞬間に呼び戻す装置でもあるのです。バッチ博士が38種のレメディを体系化したとき[4]、その根底にあったのは、花の持つ固有の波長が人間の感情状態と対応しているという直観でした。
だから──夢のなかで選ばれた花は、私自身がまだ気づいていない未来の可能性を、無意識の奥底ではすでに感じ取っていたのかもしれません。
第3章|癒しとは記憶の再統合──夢・象徴・共鳴の心理構造
癒しとは、新しい何かを足すのではなく、内面の散らばっていた断片が「本来の配置」へと静かに戻っていくプロセスといえるでしょう。心理学の言葉で言えば、それは「意味づけが変わること」、あるいは「記憶の再統合(reconsolidation)」に近い考え方かもしれません。
2000年に発表されたNaderらの研究は、記憶が「一度固定されたら変わらない」という従来の常識を覆しました[1]。記憶は想起されるたびに不安定な状態に戻り、再び安定化するプロセスを経る──つまり、思い出すたびに少しずつ形を変えうるということが、分子レベルで示されたのです。
ユング心理学では、夢は無意識のあらわれであると同時に、自分自身をまるごと理解し、統合していくための象徴的なプロセスだと考えられています。夢に出てくる花や風景は、ただの記憶の断片ではなく、「顕在意識が気づいていない何かを補うためのイメージ」として現れることもあるのです。
フラワーエッセンスもまた、そうした象徴に似た働きをすることがあります。たとえば、バッチフラワーのスターオブベツレヘム(Star of Bethlehem)は、過去のショックやトラウマに対応するレメディとして知られています[4]。心を落ち着けたり、感情を整えるだけではなく、記憶や思い出の意味のあり方そのものに、静かに変化をもたらすことがあるのです。
「もう怖くない」「なぜか軽くなった」といった変化は、記憶そのものが消えたわけではなく、その人の中で記憶が"新しい意味"と結びついた結果かもしれません。フラワーエッセンスは、そのような内的再編成を導くきっかけの鍵として働いているように思います。それは脳というよりも、からだ全体、存在全体にやさしくふれている、そんな感覚です。
私たちは、出来事そのものよりも、それを「どう受け取ったか」を記憶しています。その"受け取り方"が変わると、心の中の風景も少しずつ変わっていきます。そしてその変化は、夢、香り、感情といったさまざまな感覚の入り口から、自然に起きていくことがあるのです。
もちろん、こうしたことが科学的にすべて証明されているわけではありません。フラワーエッセンスの効果については、プラセボとの差が確認できなかったという系統的レビューも存在します[5][6]。でも、心理学という分野そのものが、人の心という"目に見えない現象"を丁寧に言葉にしようとする営みなのです。
夢、記憶、感情、象徴──それらをひとつの布のようにつないで考える視点は、詩のようでありながら、実は私たちの心の本質にそっとよりそう、大切なまなざしなのだと思います。
第4章|魂の記憶と、非物質の癒し──エッセンスはどこに届いているのか
癒しとは、ただ感情を落ち着かせることを超えて、まだ言葉になっていない"魂の記憶"に触れることではないでしょうか。理由のわからない悲しみや、同じ場所を何度も回るような迷いに立ち止まることがあります。それは「過去」と感じられるけれど、ほんとうは、もっと深い層から届いている未解決の問いなのかもしれません。
一般的に、フラワーエッセンスは「不安」や「怒り」、「恐れ」といった感情に対応するエネルギーの調整として語られることが多いです。バッチ博士の38種のレメディ[4]は、まさにそうした感情のカテゴリーに基づいて体系化されています。けれど、ある種のエッセンス──とくに自然との深い対話を重視したもの──は、もっと深い層、つまり言語が生まれる前の「存在そのもののゆらぎ」に触れてくることがあります。
たとえば、アンドレアス・コルテが開発したPHIエッセンスのなかでも、ロータス(Lotus)は霊的な気づきや意識の拡張に関わるとされ、バッチフラワーのワイルドローズ(Wild Rose)は、無気力や人生への諦めを手放す助けになるとされています。一方は存在の深層に触れ、一方は日常のなかの停滞にやさしく働きかける──同じ「花のエッセンス」でも、その届く層はまったく異なるのです。
そうした作用は、人によっては「過去世の記憶」と感じるかもしれませんし、あるいは胎児期や幼少期の言葉にならなかった記憶、または自分という個人を超えた"集合的無意識"に関わっていると感じるかもしれません。どんな記憶であっても、その層にふれるとき、癒しはすぐに目に見えるかたちでは現れなくても、空気や色のように、その場を静かに変えていきます。
ときに、ある過去の出来事を思い出した瞬間、「もう怖くない」と感じられることがあります。何の前触れもなく、昔は泣けなかった場面で涙が出てくることもあります。そうした変化は「今」に起きているようでいて、ほんとうはずっと前から癒しの準備が進んでいたのかもしれません。
深層で再編成されていた情報が、ようやく意識の表層に浮かび上がってきただけ。その再編のきっかけとなるのが、エッセンスという小さな鍵であることもあるのです。「今」に触れながら、「かつての層」や「まだ訪れていない未来」を微細に揺らす──癒しとは、そうした時間を超えた静かなプロセスなのだと思います。
誰かと出会ったとき、ある花に触れたとき、心の奥にさざ波のような感覚をおぼえることがあります。それは、内なる何かが動いている合図なのかもしれません。フラワーエッセンスは、そうした揺らぎのなかに静かに光を差し込む道具です。ときに、その揺れは痛みのようなかたちで現れることもありますが、それもまた「生まれ直すための動き」と捉えることができます。
魂の歩みは、急がなくてもいいもの。けれど、必要なときには、確かに呼ばれている。呼びかけられたとき、私たちは必ず応答できるようにできているのだと思います。そしてその呼びかけは、夢のかたちをとって現れることもあれば、一滴の水のように静かでささやかなかたちで訪れることもあるのです──まるでフラワーエッセンスがそうであるように。
第5章|選ばれたという感覚──現実が揺らぎはじめるとき
香りも名前もない、夢の中で私を見つめていたその花を手に取ったとき、たしかに「自分で選んだ」と感じていました。けれど、ほんとうはずっと前から呼ばれていたのかもしれません。その共鳴に触れる準備がようやく整った──そんなふうに捉えることもできそうです。
エッセンスを取り始めてすぐに何かが劇的に変わるとは限りません。けれど、感情の奥や思考の隙間では、何かが静かに動いていることがあります。ふとした瞬間に思い出す昔の夢。なぜか涙が出そうになる音楽。見過ごしていたはずの花の色に、胸が詰まるような瞬間。
そうした小さな兆しは、内側で織り上げられている見えない布が、わずかに動いていることを知らせているのかもしれません。あるいは、癒しのプロセスがすでに始まっているという、ごくかすかな合図とも受け取れます。
癒しとは、変わることではなく、思い出すこと。新しい何かになるのではなく、ずっと内側にあったものと再会すること。花の働きは、他人の正解を押しつけるものではなく、その人自身が持っている"存在の記憶"を静かに浮かび上がらせるものだと思います。
「理由もなくこのエッセンスを選んだ」と感じたとき、それは、すでに内部で響いていた波が、ようやく現実の表面に届いたにすぎないのかもしれません。
変化は、しばしば"選択"というかたちであらわれます。ある日突然、「あれをやめよう」と思ったり、「この道を選びたい」と感じたり──その背後には、言葉になる前の静かな調律が、長い時間をかけて積み重ねられていたのでしょう。
フラワーエッセンスは、その調律に触れる"きっかけ"や"触媒"として働くことがあります。特に感受性の高い人ほど、その微細な変化に敏感で、意識しないまま舵を切っていることもあるのです。
「選ばれたように感じた」という体験は、必ずしも神秘的なものとは限りません。けれど、人生の小さな選択が積み重なり、微細に組み変わっていく瞬間に、なにかが背後で響いていたという感覚を、私たちは確かに受け取っているのではないでしょうか。
第6章|ひとつの現象としての癒し──夢と花とわたしの統合
癒しは、時間の線上でまっすぐに進んでいくものというよりも、点と点がある瞬間、そっと重なり合うようなものかもしれません。私にとって、それは夢の中で出会った花、ふと手に取った一本のエッセンス、そしてその後に訪れた小さな感情の揺れでした。一見個人的な体験であるこれらが、実は誰の内側にも静かに流れている"内なる糸"で繋がっているのだと感じることがあります。
私たちは日々、夢を見て、香りに触れ、言葉を受け取り、無数の体験を重ねています。その一つ一つが記憶のなかに溶け込み、やがてある瞬間、それらが結びついて、ひとつの"気づき"として浮かび上がるのです。
「この花と出会うために、私は今ここにいたのかもしれない」──そう思える瞬間が訪れるとすれば、それは癒しがすでに静かに始まっていた証なのだと思います。
フラワーエッセンスが私を癒したというよりも、その微かな波が、内側でバラバラだったものを自然と一体にしてくれた。夢が未来を告げたというより、既に存在していた"内なる対話"が夢として先に現れた。そんな出来事は、「意味づけ」を超えて、「感覚としてしっくりくる」瞬間として訪れます。
癒しは、「わかった」「変わった」といった言葉だけで語れるものではありません。何も特別なことが起きていないような朝に、なぜか世界が静かに感じられる。理由もなく、やさしい気持ちで過ごせる午後がある。そんなささやかな感覚こそが、内側で起きている「癒しの統合」なのだと思います。
フラワーエッセンスは、単に香りを楽しむものでも、成分で変化をもたらすものでもありません。それは、"存在のチューニング"という領域で、やさしく響く小さな楽器のように働きます。そして夢という非物質の窓や潜在意識という記憶の層を通じて、私たちは未来の自分と今の自分が静かに出会い直す瞬間を体験しているのかもしれません。
結びにかえて
夢のなかで選ばれた花は、わたしの未来を知っていた。
それは、予知や導きというよりも、"わたし"という存在が持つ深いフィールドのなかで、ずっと響き続けていたひとつの音だったのかもしれない。
今、その音に、ようやく耳を澄ませることができたのだと思います。
もしそれが癒しの本質なのだとしたら、花はきっと、わたしたちより少しだけ早く目覚めていたのでしょう。
この文章が、どこかで同じような感覚を持ったことのある誰かに届いていたなら──
そして、あなたが選んだ花にもまた、何かの物語が宿っていたなら──
その響きが、あなたの未来とやさしく重なっていきますように。
(Author: Etsuko Fukunaga, Founder of Salon de Alpha)
参考文献
- Nader K, Schafe GE, LeDoux JE. "Fear memories require protein synthesis in the amygdala for reconsolidation after retrieval." Nature. 2000;406(6797):722-726. PubMed
- Jung CG. The Archetypes and the Collective Unconscious. Collected Works of C.G. Jung, Vol.9 Part 1. Princeton University Press, 1969.
- Jung CG. Man and His Symbols. Dell Publishing, 1964.
- Bach E. The Twelve Healers and Other Remedies. The C.W. Daniel Company, 1936.
- Thaler K, Kaminski A, Chapman A, Langley T, Gartlehner G. "Bach Flower Remedies for psychological problems and pain: a systematic review." BMC Complement Altern Med. 2009;9:16. PubMed
- Ernst E. "Bach flower remedies: a systematic review of randomised clinical trials." Swiss Med Wkly. 2010;140:w13079. PubMed